人生でいちばん大きなお買い物
人生でいちばん
大きなお買い物
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2019.01.30
営業スタッフの思い
お客様の気持ち

「安心という贈りもの」

 晩婚だった私と妻は40歳を過ぎてから、ほとんどあきらめかけていた子供を授かった。言葉にはできないほど望外の喜びだった。その喜びと一緒に妻が病院から戻ってくると、すぐに40㎡にも満たない賃貸マンションが手狭に感じられるようになった。購入という選択もあったのだが、早々に希望よりも広い賃貸のテラスハウスが見つかった。駅から徒歩20分と少し距離はあるが閑静な住宅街。できるだけ早く引っ越したいと気が急いていたこともあり、深く考えずに契約した。しかし、それが失敗だった。

 家の周囲は昼間でも人通りが少なく、暗くなると誰にも会わないこともあった。この界隈で何度か引ったくりや痴漢が起こっていることを知ったのは、住み始めてしばらく経ってから。私も妻も不安を募らせて外出時は防犯アラームを持ち歩いていたが、平穏な日々が過ぎていくにつれて危機感は薄れていった。契約更新を迎えた2年目の秋、仕事や子育ての忙しさもあって、「住まい」探しを考える余裕はなかった。

 さらに1年が過ぎた頃、朝食のテーブルで見るとはなしにテレビのニュースを見ていたら、ふと見慣れた家並みと通りが画面に映し出された。2人乗りバイクの引ったくりに遭い、バッグと一緒に引きずられた50代の女性が大怪我をしたニュースだった。事件は行き帰りで私たちが毎日必ず歩く通りで起こったのだ。思わず妻と顔を見合わせた。影を潜めていた不安がゆっくりと頭をもたげてきた。さらに、その日の夕方、妻からスマホに連絡が入った。

「駅前で買い物をした帰り道、家のすぐ近くまで怪しい男性がずっと後をついてきてすごく怖くなって。今朝の事件で神経質になっているから思い違いかもしれないけど、できれば早く帰ってきてほしいの」

 あわてて会社から帰宅すると、妻は血の気が引いて青白い顔をしていた。私は家の周辺を何度か見回ってみたが、不審な人影は見当たらなかった。  妻の思い違いかもしれないが、すでにそんなことは問題ではなかった。このままこの家で暮らしていくのが困難と感じるほどに、私と妻のショックは大きかった。来年、子供が幼稚園に上がる前までには、ここから抜け出し、安心安全な場所へ移らなければ、という焦燥感が心に迫ってきた。治安のいい街で駅から近いマンションを購入したいと考え、すぐに探し始めた。

 ネットで気になった物件をいくつか選んで数社の不動産会社へメールで問い合わせをした。返信のなかには、小学生の作文みたいなものから、やたらと長いだけでなにを言いたいのかさっぱりわからないもの、なぜか上から目線なものまで、実にさまざまだった。ひとつだけ、丁寧な言葉遣いで読みやすくわかりやすいメールが目を引いた。

「気配りが感じられる文面ね」と、いつも辛口の妻がめずらしくほめた。


この会社と何度かメールのやり取りをして、週末に物件を見学に行くことになった。

「きっと気持ちのやさしい人よ、文章を見ればわかるわ。私、人を見る目はあるのよ」

 そのメールへの妻の評価は相変わらず高かった。
 待ち合わせの場所に上司を伴って車で迎えにきてくれたメールの主は意外にも若かった。30代前半。不動産に転職してまだ半年足らずの新人とのこと。

「素敵なメール、ありがとうございます」

 妻がお礼を言うと、彼ははにかむように笑った。

「こちらこそ、ありがとうございます。でも、上司に見てもらうんですけど、毎回たくさん直されるんです」

「オイ、なにもそんなことバラさなくても」


 上司が笑いながら彼に突っ込む。現場へ向かう車内はとても和やかな雰囲気だった。

 マンションを見学しながら、耐震、地盤、資金や住宅ローンのことなど、専門的なことは上司の人が明確に答えてくれた。妻が水回りのことを質問している間、私はリビングで子供と遊んでくれている彼の所へ。「僕はまだ知識や経験がありませんので、上司のようにお客様のお役に立つことができません。でも、今の私にできることがあればなんとかお力になりたいので、なんでも遠慮なくおっしゃってくださいね」

 彼の想いが私をまっすぐに見据えた瞳に表れていた。私は今暮らしているテラスハウスとその治安の悪さ、だから周辺環境を重視していることを話した。  結局、問い合わせた物件以外にも、駅周辺のいくつかのマンションも見学させてもらった。そして、最後に見た駅から商店街を抜けてすぐの所にあるマンションが申し分ないように感じた。妻も同意見。その日のうちに結論は出せず、持ち帰らせてもらった。

 2日間話し合ったが踏ん切りがつかなかった。心は早るが、購入するとなると絶対に失敗はできない。

 翌日、会社から戻ると妻の機嫌が妙によかった。

「あなたに贈りものがあるの。あなたは仕事だから気を遣って私のスマホに送ってくれたのね」

 妻は私に自分のスマホの画面を見せた。それは不動産会社の彼からのメール。『長文にて失礼します』の文字のあとには、私たちが検討中のマンションの入居者、周辺に住む人たち、商店街の店主に直接インタビューした言葉が綴られていた。『過去に事故や事件はなかったか?』『住み心地はどうか?』『いい所は?悪い所は?』などの質問へのリアルタイムの回答。その数は50人以上。どうやら、あの街は私たち家族が末長く安心して暮らせるやさしい場所のようだ。ふと顔を上げると妻がうれしそうにドヤ顔をした。


「だから言ったでしょ。私、人を見る目はあるのよ」