水曜日の奇跡
その無愛想で不機嫌そうな顔を見たとき、〝仏頂面〟ってまさにこの顔のことを言うんだな、と心の中で密かに嫌みを思った。なにを言っても見せても、表情一つ変えることなく、「狭い」「駅から遠すぎる」「日当たりが悪い」「問題外だ」とぶっきらぼうな言い方で否定するばかり 〝仏頂面〟の下にあんなに柔和でやさしい笑顔が隠れているとは、僕は思ってもみなかったのだ。娘さん夫婦の新居を一緒になって探してくれるお父さん と言えば聞こえは良いが、第一印象は感じの悪い強面の頑固オヤジだった ごめんなさい。
僕の定休日は毎週水曜日。不動産仲介業は土日が書入れどき。平日はお仕事をされている方がほとんどなので、現地へのご案内は必然的に休日に集中するからだ。しかし、そのお父さんのお休みに合わせると、物件をご覧になれるのは水曜日に限られた。僕は休日返上で、毎週水曜日にお父さんと娘さん夫婦を現地へご案内するしかなかった。
実は正直に言うと、その頃の僕は大スランプに陥っていた。思うように契約が取れず、新人よりも数字が出せない自分の不甲斐なさに落ち込んでいた。なんとしても契約を取りたい一心で、要は不純な動機から、娘さん夫婦の物件探しにがむしゃらに奔走したのだ。ところが、いくらご案内を重ねても、娘さん夫婦が好感触を示した物件にも、決まって必ずお父さんが難癖をつけた。予算も希望するエリアもかなり厳しい条件だったが、それよりも、この〝仏頂面〟が気に入ってくれる物件は日本には、いや、世界には存在しないのではないか 僕は半ば、いや、ほとんど諦めかけていた。
「この物件を購入した場合、諸費用を合わせてどのくらいかかるんだ?」
七回目のご案内のとき、つまり僕の休日返上が七日間に達したとき、お父さんが前向きな質問を投げかけてきた。
「明細を作りますので、今から会社の方にお越しくださいますか」と僕は思わず答えてしまった。
定休日のため、誰一人出社していない会社は、〝いらっしゃいませ〟の歓待も受付の女の子の明るい笑顔もなく、蛍光灯さえもついておらず、閑散とした雰囲気だった。僕は覚つかない手つきでエントランスの鍵を開けると、お父さんと娘さん夫婦を接客室に招き入れ、まずは椅子を勧めた。お父さんは訝しそうな顔をして、しんと静まり返った薄暗い接客室をしきりに見回していた。
「少しお待ちください。すぐお茶を入れますから」と、あわてて給湯室へ向う僕をお父さんの厳かな声が制した。
「お茶はいいから、こっちへ来なさい」
またなにか文句を言われる と直感的に思った僕は、定休日の会社に招いたことは失敗だったと、我が身の愚かさを呪った。しかし、お父さんの口からは予想外の言葉が聞こえてきた。
「娘夫婦の住まいは君から買わせてもらうから、なにぶんよろしく頼むよ。
え? なに? どういうこと?
「いや、明細も申し込みも契約日もまだ決まってないですし」と、突然のことに僕はとんちんかんなことを口走った。
「今日見た家を買うか買わないかは別にして、とにかく君から買うことに決めたから」と穏やかに微笑んだ。初めて見た柔らかくやさしい表情だった。
「水曜日は君の休日だったんだね。全然知らなかったよ。二ヵ月もの間、本当に申し訳なかったね。ありがとう」
「あ、とんでもないです」と僕が虚勢を張ると、娘さんが口を開いた。
「勝手なことばかり言って嫌だったでしょう。でも、今まで訪ねた会社の営業の人は、予算と条件を聞いただけで急に態度が冷たくなったり、相手にしてくれなかったりで、こんなに一生懸命になってくれる人はいなかったから、私も父と同じ気持ちです。本当に本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
僕は不覚にも込み上げてくる涙を
抑えることができなかった。
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