やさしいジャンケン
「じゃあ、いっそのこと、ジャンケンで決めてしまいますか?」
もちろん本気じゃなかった。その場の空気を和ませるための冗談だった。笑いを誘うことで、二人に少しでも冷静になってほしかったのだ。まさか火に油を注ぐ結果になろうとは、僕には思いもよらなかった。
「ふん、いいわね。そうしましょうよ」
え? ......ちょっと待って。
「......わかった。そっちがその気なら受けて立とうじゃないか。もし、負けても文句は言いっこなしだからな」
〝ほ、本当に? えーーーっ〟
不敵な笑みを浮かべて睨み合う二人を前に、僕は自分の不用意な言葉を後悔し、心の中で泣きそうになった。
ご主人は三十歳、奥様は二十八歳。新婚半年の二人は新築の建て売り物件を中心に新居を探していた。物件へのご案内のときは、いつも手をつないで現れるほどの仲良し小良しの二人。温厚そうなご主人が明るく元気な奥様の言うことを〝うんうん〟と微笑んで聞いている感じがとても好ましく見えた。
それは、三回目のご案内の日だった。
最初の物件でご主人の食指が大きく動いた。標準よりバスルームの広さとデザインを重視した物件だった。
「おぉ、毎日、こんなゆったりしたお風呂に入ってゆっくりしたいなぁ」
「あなたがそんなに気に入ったなら、ここにしましょうよ。私もうれしいわ」
〝この「住まい」で決まるかも......〟と僕は秘かに思ったが、その日にご案内を予定していた残りの二件は、とりあえず回ることになった。
ところが、最後の物件を見たとき、奥様が完全に寝返ってしまったのだ。
「わぁ、ステキ! このシステムキッチン、今CMでやってるやつでしょ。こんなキッチンほしかったの。ねぇ、私ここがいいわ、ここにしましょうよ」
ご主人の穏やかな笑みが急に曇った。
「あのさ、さっき最初に見た物件にするって言ってなかったっけ?」
「私はあなたの気に入った物件を尊重したけど、あなたは私の気に入った物件は無視するつもりなの?」
「そういうことじゃなくて、自分の言ったことには責任を持つべきじゃないかって言ってるだけなんだけどな」
「ふーん、私の気持ちなんて、どーでもいいのね、よーくわかったわ」
二人の会話は噛み合わず、そのまま平行線を辿るばかり ついにお互いに黙りこくり、無言の攻撃を始めた。
険悪なムード。ピーンと張り詰めた空気に耐えられず、僕は思わず〝ジャンケン〟と口走ってしまったのだ。
掛け声をかける役は僕だった。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
お互いにパー。あいこだ。もう一度。
「ジャンケンポン!」
またあいこ。今度はお互いにグー。
「ジャンケンポン!」
ご主人はパー、奥様はチョキ。決着。
奥様はガッツポーズを作って飛び上がって大喜びする。恐る恐るご主人の顔をうかがうと、少しほっとしたような安堵の表情が浮かんでいるような 。
結局、二人はジャンケンの結果通りの物件を契約することになった。
契約を無事に終えて、二人をビルのエントランスまで見送りにいく途中、僕は思い切ってご主人に切り出した。奥様はうれしそうに先を歩いていた。
「......あの、申し訳ありませんでした」
「なにが......ですか?」
「いや、ジャンケンのこと......です」
「ああ、あのときはもう引くに引けない状態で......でも、あれには救われました。逆にお礼が言いたいくらいですよ」
「え?」
ご主人は笑みを浮かべた。いつものやさしく穏やかな笑みだった。
「妻はジャンケンのとき、必ずパー、グー、チョキの順番で出すんですよ」
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