家を買うこと
子供の頃、父がすごく大人に見えた。
僕が小学一年のときだったと思う。元旦の朝、まだ新築の木の香り漂う真新しいリビングで、父と母と姉と一緒にお雑煮を食べたのを覚えている。前年の師走に竣工したばかりの家の中は、なんだかよそよそしくかしこまった雰囲気があった。食卓につく前、姉と僕は父に向かってうやうやしくお辞儀した。
「あけましておめでとうございます」
「ああ、うん、おめでとう」と言った父の顔はやさしい威厳に満ちて、ものすごく大人に見えた。僕なんか一生かかっても父を超えられない思えるほどに 。
〝あのとき父は何歳だったのだろう〟
子供の僕は成長して、地元の高校を出ると、つぶしが利くと言われていた大学の経済学部に通い、唯一内定が出た今の会社に就職した。妻とは五年間の社内恋愛を経て、長男の妊娠をきっかけに結婚し、妻は寿&出産退社した。それから二年後、待望の娘が産まれ、2DKのアパートは狭すぎるからと、賃料が4万円高い3DKのマンションに移り住んだ。
そして、いつのまにか僕も大人になっていた。
「早く自分の家を持ちなさい。男はね一国一城の主となって初めて......」
「昔とは時代が違うってば、母さん。家賃払うのにも四苦八苦してるっていうのに、家を買うなんて夢のまた夢だって」
娘が産まれてからというもの、母は電話で毎回同じことを言う。父は三年前に他界し、母は一人暮らしをしている。
「お義母さんも一人でさみしいのよ。一緒に暮らせれば一番いいんだけどね」
優秀な大蔵大臣の妻は〝家がほしい〟とは口にこそしないが、心のなかでは望んでいるはず。だが、肝心の給料が上がらない現実はどうしようもない。
三児の母でもある姉と電話しているとき、思わず泣き言をぼやいた。
「やっぱさ、甲斐性がないのかな? それとも時代が良くないのかな?」
「ふーん、不動産会社に一度相談してみれば? 相談するだけなら0円だし」
「え、不動産会社って大丈夫なの? 無理矢理買わされたりするんじゃ」
「バカねぇ、いつの時代の話をしてるのよ。あ、うちの旦那が買ったときの営業の人、紹介しようか?そうね、一度会いなさい。会うだけなら0円だし」
姉に紹介された営業の人は、電話での丁寧な言葉と対応に好感が持てた。
「もしご都合が合うようでしたら、ぜひ一度、弊社の方にいらしてください」
中央線の車窓から武蔵野台地に広がる住宅地が遠くまで見渡せた。指定された駅で降りると、思っていたよりも若く見える営業の人が出迎えてくれた。彼と会うことは、妻には内緒だった。
歩道に面した一階の接客スペースは開放的で清潔感があった。まず、彼から手渡された「お客様カード」に年収などの必要事項を記入した。すると、彼はテーブルの上のパソコンにいくつかの数字を入力して、enterキーを押した。
「ご希望のエリアと価格帯でしたら、三十年ローンで今の賃料より数万円も低い月々の返済額になります。しかし、これは簡易のライフプランですから、金利変動や現在ご加入の生命保険など、詳細を詰めれば、総支払い額はもっと抑えられると思います。価格帯をワンランク上げてもいいかもしれませんね」
「あの、僕にも家が買えるんですか?」
「もちろんです」と彼は微笑んだ。
それから三ヵ月後、僕は家を買った。
元旦の朝、新築の木の香り漂うリビングで、僕は妻と息子と娘と一緒にお雑煮を食べた。〝家を買う〟ことをあんなに勧めていた母は〝同居はしない〟と言った。
「私はね、お父さんが買ってくれたこっちの家で人生を終わらせたいの」
「あ......うん。で、あのさ、お父さんって何歳のときに家を買ったのかな?」
「お前は今、いくつになったの?」
「えっと、今、三十三歳だけど」
「そう、なら同じね。お前のお父さんも三十三歳のとき、家を買ったのよ」
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