別れと再会
私は不動産仲介の営業職が好きだ。もちろん仕事は甘くない、いや、むしろ厳しい。数字が上がらないときは気分が落ち込むこともある。しかし、お客様は誰一人として同じ方はいないし、住まい探しはそれぞれの人生に大きく関わる仕事だ。案件の数だけ、いろんな人生の喜怒哀楽と触れ合えるのだ。こんな仕事は他にはないと思う。本音をいえば契約はたくさんほしいが、それよりもお客様一人ひとりの人生に対する責任感が大きなインセンティブであることは間違いない。手は抜けないし、もちろん抜かない。必然的に残業もあるし、休日に出勤することも少なくない。しかし、妻はそれを理解できず、安定した穏やかな暮らしを求めていた。
三人の子供たちのことを考え、妻の意見を受け入れた私は、十年という長い時間を過ごした会社を退社し、営業職からも距離を置いた。新しい職場ではルーティンをこなし、ただ費やすだけの毎日に疑問を感じながらも〝家族のために〟と自分に言い聞かせた。ところが、転職から半年も経たず、妻とは離婚した。今さら原因や理由を探しても仕方ない。私に妻を理解しようとする気持ちが足りなかったため、妻も私を理解できなかった。すべて私が悪い。そして、私の前から大切な家族がいなくなってしまった。
〝これからどうやって生きていけばいいのだろう〟
私は人生の目的を失ってしまったような喪失感を抱え、途方に暮れてしまった。そんなとき、私の携帯電話に見慣れない番号からの着信があったのだ。
「......覚えてらっしゃいますか?会社の方を辞められたとお聞きしたので電話してみました。お元気ですか?」
それは、前の会社を辞める一年ほど前に私が担当したお客様だった。私の脳裏にあるシーンが蘇ってきた 。
そのお客様は、夜になってわざわざ会社に私を訪ねてきた。契約のキャンセルの理由を説明するためだった。
『......実は以前から妻は不妊治療を受けていましたが、ようやく子供を授かることができ、妻も私も家族が増える喜びを感じながら新居の方を探していました。ですが、昨日、突然妻が体調を崩し......今回のことでは、皆さまにご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません』
私は思わず口を開いていた。
『わざわざご来社くださってありがとうございます。でも、今はこんな所に来ている場合ではないでしょう。「住まい」はいつでも探せます。ご契約の断りも私がやっておきます。それより今すぐ帰って、奥様のそばにいてあげてください』
すると突然、彼は嗚咽を漏らし始めたのだ。三人の子を持つ私は大の子煩悩だった。彼の心を、奥様の心を思うと、さまざまな感情が沸き上がって、思わず頬を涙が伝った。夜の静かな接客室に男二人のむせび泣く音が響いた 。
その思いもかけない懐かしいお客様の声は、不動産仲介の営業職に携わっていた頃の自分を、信念と情熱を持っていた頃の自分を、私に思い出させてくれたのだ。私は半年前に退社した会社の戸をふたたび叩くことを決意した。
十年間一緒に仕事をしてきた会社の仲間たちは、以前とまったく変わらない笑顔で私を迎えてくれた。それが嬉しかった。私はもう一度、本当に生まれ変わったつもりでここから始めるのだ。
最初の仕事は決めていた。私を救ってくれたお客様へのごあいさつだ。本人にその自覚はないだろうけれど(笑)。
「恥ずかしながら出戻りです......これからも、よろしくお願いいたします」
「お帰りなさい。待っていましたよ」
その言葉を聞いたとき、私の止まっていた時間が動き始めた気がした。
「これ以上ない嬉しいお言葉です。本当にありがとうございます」
「で、また新居探しを始めようと思っているのですが、お願いできますか?」
「え?」
「実は来月、新しい家族が増えることになって。妻は妊娠十ヵ月なのですよ」
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