私の幸福論
ご案内から車でオフィスへ戻る途中など、ときどき遠回りして昔のお客様の「住まい」を見に行くことがあります。
「まだ住んでいらっしゃるのかしら?」とか考えながら眺めていると、当時のことがつい先日のことのように思い起こされて、日だまりのあたたかさが心にぽっと灯るような、郷愁にも似たやさしい幸福感に浸ったりしてね。......いいえ、とんでもない。突然訪ねられてもご迷惑でしょうし、少し離れた所からただ眺めるのが好きなのです。
あとはそうね、懐かしいお客様に街でばったりお会いすることも少なくないですね。二週間前、東戸塚の駅前で「わぁ、お元気でしたか?その節はお世話になりましたぁ」とあいさつをされて、一瞬誰かわからず戸惑ったのですけれど、お顔を見ているうちに、記憶が鮮明によみがえって。あのときは、まだ結婚したばかりのお嬢さんだったのに、今は二人のお子さんを持つお母さんのお顔をしていらして、すぐにはわからなかったの。でも、彼女の幸せそうな笑顔が嬉しくて、その日一日は私まで口角が上がりっぱなし。数えたら十五年ぶりの再会で、月日の流れの早さに驚き、自分の人生をしみじみ振り返ってしまいました。
この会社に入って今年で二十四年目になります。別の会社で働き始めたのがその三年ほど前だから、この仕事に携わって二十七年目になるのかしらね。随分長かったような、あっという間だったような。......あ、ごめんなさい、なんだか曖昧な受け答えばかりね。え、この仕事を始めたいきさつですか? そうねぇ、あまり陽気なお話ではないけれど、いいのかしらね。......そう、じゃあ、お話します。
私が三十八歳のとき、夫が急に亡くなったのです。そのことが私の人生を百八十度変えることになりました。とても幸せだった時間が失われて、中一の男の子と小五の女の子 二人の子供を育てながら生きていかなければならなくなったわけです。財産というにはささやかすぎる貯金で三年かそこらは暮らせたのだけれど、さすがにどうしようもなくなってね。
〝二人の子供を守るために私は自立してお金を稼がなければ〟と一念発起しました。
生まれてから四十年以上、たったの一度も働いたことがなかったのに無謀でしょ。そうして、経験も知識もない四十路女が勢いだけでこの世界に飛び込んだの。私がやるべきことは不動産の仕事だとなぜか確信してね。......いや、それがなんの根拠もないのですよ、直感的にそう思って(笑)。
社会で働く初心者なのに仕事は意外にも順調でした。時代も味方してくれたのでしょうね。
私の場合〝仕事でこうしよう、ああしよう〟というのはあまりないのね。決まった方法がないのが方法みたいな。......あ、一つだけ。自分に決して嘘はつかない これだけは絶対に譲れないことでしたね。
私はすぐにお客様に入り込んでしまうのです。感情移入が激しくて、私にとって大切な人になってしまうの、二人の子供と同じくらいに、それ以上に。
「このご家族を私が守って幸せにしてあげなければ」と必死になって、仕事とは関係ないことまでお話したり、口を挟んだり、余計なおせっかいを焼いてしまうの。一緒に笑い合ったり、ときには泣き合ったりしながらね。でも、お客様が一番幸せになれる「住まい」をお届けしてきたという信念は揺るぎませんよ。
五百軒以上?......ああ、私からお客様がご購入くださった「住まい」の軒数ですね。じゃあ、少なくとも五百のご家族とお付き合いがあったことになるのね。ええ、もちろん出会ったご家族はすべて覚えていますよ。こうして、いただいたお手紙やお客様カードを読み直したり、見直したりしてね。お客様と過ごした日々は、私のかけがえのない貴重な財産ですからね。
はい、私の直感は正しかったのだと思います。この仕事に携わることができて本当に幸せでした。
最近ようやくわかったことがあります。主人が亡くなってからというもの、私が二人の子供を、お客様とそのご家族を〝とにかく守って幸せにしなければ〟と躍起になっていたのですけれど それ、実はあべこべだったのです。守っているつもりが逆に私が守られていたし、幸せにしているつもりが実際に幸せにしてもらっていたのは私の方だったのですよ(笑)。
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