人生でいちばん大きなお買い物
人生でいちばん
大きなお買い物
STORY
update
2016.05.23
泣けるストーリー
お客様の気持ち

やさしさの狭間で

 僕と上司は会社の玄関前でタクシーの到着を待った。ご契約のお客様をこうしてお迎えするのは少なからずあること。しかし、今日はやや事情が違う。緊張からなのか、手が軽く汗ばんでいるのを感じた。予定の時刻を五分ほど過ぎ〝まだかな〟と心の中でつぶやいたとき、一台のタクシーが目の前に停車した。
 奥様とは三週間前に一度お会いしている。メールの文面から想像していたよりも細面のご主人は柔和な笑みを浮かべると、上司と僕に握手の右手を差し出した。初対面なのに不思議と懐かしさに似た感情が湧いてきた。
 
 半年前、それは一通の問い合わせのメールから始まった。連絡先として記載されていた携帯電話の番号に電話してみると、かなりの年輩と思われる男性が応答した。
「パソコンは使わないし、なにかの間違いではないでしょうか?」
「え(もしや偽メール)?」
 差出人の名前を確かめてみた。
「ああ、それは娘婿ですね。娘夫婦はもう十年以上海外暮らしで今はLAにおりますけれども」
〝は......あ?〟
 さっぱり訳のわからない僕は一旦電話を切って当のメールに返信してみた。すると、その日のうちに〝連絡の行き違いへの丁寧なお詫び、奥様のご両親の「住まい」を探していること、ローンはご主人が支払うこと〟が書かれた返事が届いた。今ひとつ要領を得なかったが、奥様のご両親と再び連絡を取って、とりあえず一度会うことになった。
「私たちは福島の原発事故の避難区域に住んでいたのです。今は娘婿の会社の社宅に好意で住まわせてもらっています。それだけでも十分ありがたい話なのに、これ以上娘夫婦の世話になることはできません」
 お二人とも七十代前半というご両親は待ち合わせたファミレスで穏やかに語ってくれた。
 僕はその言葉を正確かつ慎重に綴ったメールを娘さんのご主人に送信した。
〝ご丁寧なメールをありがとうございます。妻の両親と一度きちんと話をしてみます。お手間を取らせまして大変申し訳ございませんでした。またご連絡いたします〟と真摯な返信があった。
 
 それから三ヵ月後、今度はご両親から僕宛てに電話があった。
「娘夫婦が二年後には日本に戻るようですので、同居するための〝住まい〟を先に探して住むことになりました。私たちはいずれ福島に戻るつもりですから、それまでの仮住まいなりますけれども」
 そうして、物件のご案内が始まった。しかし、娘さんご夫婦はご多忙で帰国はままならない。そこで僕は、好条件と思われる物件は動画で詳しく撮影しYouTubeにアップしてご覧いただく方法を取った。
「娘婿の希望が最優先ですので」と言ってご両親は譲らない。
〝お義父さんの気に入った物件なら、こちらは構いませんから〟とメールで娘さんご夫婦も譲らない。
 そんなお互いの思いやりとやさしさの狭間で「住まい」探しは難航、バーチャル案内の動画も十本を超えた頃、娘さんである奥様が来日してご両親と一緒に物件を見て回ることになった。それから二度目のご案内で決定  いささか奥様の強引さもあったが、ご両親も納得してくれたようだ。そして三週間後の今日、ご契約を迎えたのだ。
 
 ご主人との握手もそこそこに、すぐに車で現場へと向かった。娘さんご夫婦は七時間後のフライトでLAにトンボ帰りする。移動と搭乗手続きの時間を考えると、私たちに与えられた時間はわずか三時間しかない。その間に、実際に物件をお見せしながらのご案内、建築のプレゼン、ご契約に関する重要事項の説明などを行わなければならない。それは、売主と建築業者を巻き込んだ時間との闘いだった。
 
 どうにかすべてを終えて、ご夫婦をお見送りするとき、ご主人が僕に耳打ちするように囁いた。
「社宅では周囲に気を遣うあまりに肩身の狭い思いをしているようで......妻の両親には新しい場所で新しい生活を築いてほしいのです。私たちはいつ日本に戻れるのかわかりません。どうか、今後ともよろしくお願いいたします」
「もちろんで...(え?)」と僕は思わず言葉を飲み込んだ。走り去るタクシーの後部座席でご夫婦は僕に小さく微笑み、会釈した。
 会社の契約室に戻ると、見送りに出なかったご両親が座っていた。
「......私たちには過ぎた娘と婿ですよ。本当はいつ日本に戻れるかもわからないくせにね」とお二人は穏やかな涙を目に浮かべた。