〝ゆい〟の家
♡過ぎ去った歳月はいつも長いようで短く感じる。私が人形劇と生きてきた三十数年間 思い返せばあっという間のような、しかし一瞬一瞬の気の遠くなるような折り重なりが、私を、今の私にしているのだと強く思う。それはこの上もなく幸せなことに違いない。
お芝居の世界に憧れていた。声優になりたかった。
両親から反対され、高校を卒業すると同時に家出同然で東京へ。頼る人も住む場所もなかった私は、一も二もなく寮のある劇団に飛び込んだ。そこで十八歳の少女は人形劇と出会ったのだ。演じることの楽しさ。子供たちの笑顔。舞台と観客との目にみえない心のコミュニケーションが人形たちに息を吹き込む。そのライブの高揚感に夢中になり、人形劇の虜(とりこ)になった。
そうして二十数年もの間、北海道から九州まで各地で巡回公演しながら、たくさんの人の笑顔や心と交流した。一度だけ、人形劇を続けることに疑問を感じ、OLに転職したことがある。がすぐに、あれほどの喜びを与えてくれる場所は他にないと気づき、またここに舞い戻った。
いつしか自分だけの劇団を持ちたいと思い始め、「ゆい*パペットシアター」を八年前に旗揚げした。
〝ゆい〟は漢字で〝結〟。
人と人、人と人形のつながり、結びつきを指す。私はこれからも、この〝ゆい〟の中で生きていくのだと思う──きっと、ずっと。
〝自分の家がほしい〟と考えたのは数年前のこと。二十年近く暮らした小さなアパートに愛着はあったが、人形を制作したり稽古をしたりするにはやはり狭すぎた。それにもう王子様を待つ年齢でもないし(笑)。でも、私に家が買えるのだろうか。無理かもしれない。
「土俵にも上がりませんね」
事前審査をした二社の不動産会社にそう言われた。もう一社でも同じようなら、きっぱりあきらめよう。〝ゆい〟がなかった、と。
♣彼女は、僕が入社して初めて担当したお客様だった。
初対面の印象はピュアでひた向きな方 ご自分で人形を作り、ストーリーを考え、三味線を弾きながら幼稚園や公民館で人形劇を演じているとのこと。
なるほど、柔和な表情とやさしい物腰にも納得がいった。
「もう半分以上あきらめているんです」と彼女は他の不動産会社での顛末(てんまつ)を話してくれた。
高速道路と都心へのアクセスが良い中古物件をご希望 確かに予算的には厳しいかもしれない。でも、探しもせずに門前払いをする他の会社に無性に腹が立った。
「僕がなんとかします」とは言ったものの、条件に合う物件は天井に穴があったり、床が抜けそうだったり。リフォームする予算的な余裕もなく、僕は困り果てた。
「もうやめた方がいいかもね」と相談した先輩に言われたが、絶対にあきらめ切れなかった。それはたぶん経験不足、未熟さゆえの気持ちかもしれなかったけれども。
「見つかるまで探します」と僕は上司に宣言した。すると、他の社員たちが彼女の条件に合いそうな物件が出ると、すぐに僕に報告してくれるようになった。不思議に思って上司に聞くと、僕の決意を耳にした社長が社員全員へ協力を呼びかけたらしい。嬉しかった。
結局、彼女とは一年近いお付き合いになった。その間、十二回のご案内で五十件以上の物件をご紹介した。この業界に入って初めてのお客様は、僕に大切なことを教えてくれた気がする。お互いを知り、理解し、信頼し合う人と人のつながり どんな仕事でもそこから始めるしかないのだ、と。
♡最初に見たとき、私はこの家が醸し出す雰囲気に惹かれた。
二階建ての4DK 作業部屋と稽古部屋、それと人形部屋も猫の部屋も、あ、それじゃ寝る所がない(笑)。ここで仲間たちと一緒に新しい人形劇を創っていくのかと思うと、十八歳の少女のように、心ときめいてしまう。
今日の幼稚園での公演に彼が来てくれる。初めて会ったとき「僕がなんとかします」と言って、一年後に本当になんとかしてくれた彼との〝ゆい〟に、ありがとう。
♣初めて観る彼女の人形劇が始まると、僕は時間を忘れ、自分を忘れ、人形の動きとセリフに没頭した。いつのまにか僕と彼女、僕と人形の〝ゆい〟の中に僕はいた。
※「ゆい*パペットシアター」について詳しく知りたい方は、ネットにて「ゆいマメ」で検索してください。
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