人生でいちばん大きなお買い物
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大きなお買い物
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2016.05.23
わかる!な出来事
お客様の気持ち

家族に戻る日

 同僚と軽く飲み、ふらつく足元に〝年を取ったなぁ〟と今さらのように感じながら、夜の街から家路につく。三十年近く慣れ親しんだ社宅のそれほど広くないDKに入ると、しんと暗かった。妻と二人の息子はもう部屋に引っ込んだらしい。時計を見るとまだ十一時を回ったばかり。一ヵ月ほど前から、三人は私に内緒でなにやら相談を繰り返していた。先日も、食卓で三人が鼻をつき合わせている最中に私が不意の早い帰宅をした途端、急に口をつぐみ、三人とも部屋へ消えた。
〝まるで邪魔者扱い〟
 今年で結婚三十年を迎える妻と必要なことしか口を利かなくなったのは、いつの頃からだったろうか。まだまだ子供だと思っていた二人の息子が成人し働き始め、一緒に食事したり会話したりする機会がなくなったのはいつの頃からだったろうか。考えれば考えるほど、楽しかった昔の日々が思い起こされて、さみしさばかりが募った。もう二度と戻れないのだろうか、と。
 
「不動産会社の人に会って話を聞いてほしいんだけど......今日」
 土曜日の朝、起き抜けの私を見るなり妻が言った。
〝寝耳に水とはこのこと〟
「どういうことだ?」
「定年まであと五年、ここも出て行かなきゃでしょ。物件はもう三人で決めてあるの......お願い」
 そんなに大切なことを私に一言の相談もなく三人だけで。
〝言いようのない疎外感〟
「オレは定年したら退職金で田舎に家を買うつもりだ」と言い放つと〝そこでお前と二人で静かに余生を過ごしたい〟という次の言葉を飲み込み、とにかく外へ出た。
 むしゃくしゃする気分を晴らそうとパチンコ屋に入って台の前に座っておよそ一時間  三枚目の万札を財布から出したとき、遠慮がちな声がした。
「あの......ご主人様ですか?」
 見知らぬスーツの男と、その隣に不安そうな表情の妻がいた。
「あの......少しだけお時間をいただけないかと......少しだけ」
 ぽっちゃりした体型に黒ぶちメ
ガネ、不動産の営業らしからぬ押しの弱さにやや虚をつかれた感じ。
「お願い......隣の喫茶店で待ってるから」と妻が立ち去っても、彼は私の横に無言で立っていた。
「立ってないで君もやれば?仕事だと思ってさ」と声をかける。
 しばらく考えていたが「わかりました」と、彼は私の隣に座った。
 と、すぐにリーチがかかる。
〝まさかな〟と横目で見ていると、まさかの確変大当たり。
「す、すいません......」となぜか申し訳なさそうに謝る。
 と、今度は私に激アツリーチ。〝もしや〟の直感通り、もしやの確変大当たり。
〝この男、持ってるのかも〟
 嬉しそうに笑いかける彼を見た。不思議とむしゃくしゃが消えているのに、私は気づいた。
 それから一時間半後、二人で妻の待つ喫茶店へ。妻は私の姿を認めると、ほっとした表情をした。
「えっと......まずは、これに目を通していただけますか?」
 彼に手渡されたのは、A4で十枚以上の資料らしき冊子。パラパラとめくると、図面や表がたくさん並んでいるのが目に入った。顔色を窺うように私を見ていた妻に言った。
「先に帰っててくれないか? この人とちょっと話があるから」
 
 私の行きつけのバーに入ると彼は戸惑ったような表情をした。
「いつものオンザロックを二つ」と私がオーダーをすると「これも仕事ですか?」と彼は少し笑った。
「よくわからないから資料の説明してほしい」
 私は正直に告白した。実は〝わからない〟〝知らない〟という私のカッコ悪い姿を妻に見せたくなかったのが本音だ。
 物件のコストパフォーマンスの高さ、十年後、二十年後の家族の暮らしをシミュレーションした資金計画、次男と組む親子ローンの利点(次男が結婚しても一緒に住みたがっていることを初めて知って嬉しかった)、妻が孫の顔を見たがっていること(もちろん私も見たい)まで、二時間を超える事細かな授業  彼の話が終わる頃、私は真新しい広いリビングで昔のようにコタツでミカンを食べる家族四人の笑顔を思い浮かべていた。
 
 翌日の午後、私は妻と息子たちが決めた物件を初めて見た。私たちが家族に戻る〝きっかけ〟としては申し分がなかった。
 私は結局、妻や息子たちにハメられたのだ。それがわかっていて、まんまとハメられるのも悪くはないが、急にいじわるしたくなった。
「......やっぱりやめるよ」
 そう言うと、妻と彼の顔が見る見る凍りついた。私は〝冗談だよ〟というタイミングを計りながら心の中で舌を出した。