二つの"おめでとう"
人生は自分の思い描いたようには運んでくれない。子供の頃に夢見たように生きている大人はこの世界に一体何人くらいいるのだろう? ふと、そんなことを考えた。
〝トップまで駆け上がってやる〟と意気込んで入社して半年、契約は二本のみ、それも上司のサポートなしには物件の案内さえ取れなかった始末。さしあたっての目標は自分の力だけで契約まで漕ぎ着けること しかし、最初の勢いはどこへやら〝こんなはずじゃ〟と焦る気持ちと現実のギャップに僕はちょっとへこたれていた。
そんなとき、ネットで物件の問い合わせをしてきた六十五歳のご夫婦にご来社いただけることになった。
当日、会社の玄関でお二人をお迎えしたときに見覚えのあるご主人の顔を見て、僕は目を丸くした。
「あ......か、監督......ですか?」
「ん? おー君は確か......」
二人の松井選手に憧れていた小学生の僕 夢はもちろんプロ野球選手になること。低学年と高学年に分かれた少年野球チームに所属し、三年生のときから低学年チームの不動のエースになり三番を打った。
監督は当時五十歳、僕らから見ればやさしいおじいちゃんみたいな人だった。指導は厳しかったけれど、野球以外のことで怒られた記憶はない。
練習が終わると、ワゴン車で監督の家にお邪魔し、よくお昼ごはんをごちそうになった。すでにプロ野球選手気取りで調子に乗っていた僕は、部屋の中でバットを振り回し、新品の大型テレビを壊してしまったこともあった。そんなときも、監督はいつも穏やかに微笑んでいた。
「......お久しぶりです」
「おー元気か? しかし、大きくなったなぁ」と監督は穏やかに微笑んだ。その表情が懐かしかった。
問い合わせのあった物件を皮切りに、いくつかの現場へお連れしたが、監督はやはり最初の物件が気に入ったようで、その場で申し込みを入れてくれた。僕は感謝の気持ちで一杯になりながら、売主に連絡を取ったが、わずか数分という差で他社に先を越されてしまった。僕も落ち込んだけれど、それ以上に監督がガッカリしている雰囲気が受話器から伝わってきた。
「そうか......あの〝家〟が買えないなら、もう探すのやめるかな」
その言葉を聞いたとき、僕の脳裏に小学五年生の僕が蘇ってきた。
五年生になった僕は、血気盛んな青年が監督をする高学年のチームに入った。そして、絶対的エースと噂されていた六年生の投球を目の当たりにして完璧に打ちのめされた。敵いっこない、と。僕は徐々に練習をサボるようになった。
ある日の放課後、校門の前で監督がわざわざ僕を待っていた。
「どうした?練習に来てないって聞いたけど、なんかあったか?」
「......うん、どうせエースになれないし、もうやめようかなって」
「簡単にあきらめるな。あきらめずにがんばれば、君はきっとエースになれる。信じてるからな」
〝きっとエースになれる〟という予言に単純な僕は奮起した。休み時間も放課後も、ただひたすら壁に向かってボールを投げ続けた。
僕は監督にあきらめてほしくなかった。いや、僕自身があきらめたくなかった。
ご希望の条件に見合う物件をリストアップし、下見へ出かけた。いくつもの地元業者や売主に未公開の物件が出る予定はないか、問い合わせた。そして数日後、十件近い物件資料を手に十五年ぶりに監督の家を訪ねた。
「とにかくご覧になるだけでも」と言った僕に監督は笑って頷いた。
五年生の夏休みに開かれた区の大会で監督の予言は的中した。
二回戦で大量リードを守れなかったエースをリリーフした僕は、逆転勝利へとつながる好投を見せた。そして、三回戦からエースとして先発 結果は準優勝。
試合後、低学年チームを率いて大会に参加していた監督に握手を求められた。
「おめでとう、がんばったな」
監督の契約を無事に終えた僕は、これまでとは違う充実感に浸った。と突然、十五年前と同じ言葉が目の前でフラッシュバックした。
「おめでとう、がんばったな」と穏やかな微笑みが手を差し出した。
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