国境のない愛
母の四十九日の法要を終えると、張り詰めていた気持ちが一気にゆるんで、翌日、私は一日のほとんどを泣いて過ごした。その間ずっと、夫は私の手を握ったり、肩や背中にそっと手を添え、やさしく撫でたりしてくれた。その慈愛に満ちた手の感触と口元に穏やかな笑みを浮かべた夫の表情が、私のぽっかりと空いた心に小さな希望を芽生えさせた。
〝この人ともう一度、人生を取り戻したい〟
オランダ人の同い年の夫と結婚し二十数年間、コペンハーゲンで暮らしてきた私に〝日本にいる母がもう長くはない〟という知らせが届いたのは三年ほど前だった。父はすでに他界していたので、母の世話をする肉親は日本には誰もいなかった。
五十歳を前に長年の親不孝を悔いていた私は〝母を施設に任せるより最期の時まで自分の手で介護してあげたい〟という思いが日増しに募った。しかし、夫を残して一人で日本へ行くことが正しいことなのか 私は出口のない葛藤を夫に打ち明けた。夫はしばらく黙考してから「君のお母さんは僕のお母さんでもある。僕も君と一緒に親孝行をさせてもらえないかな」と口元をゆるめた。
夫は二十年以上勤めた外務省を辞めた。それは夫にとって、これまでの人生を白紙に戻すほど大きな決断だったと思う。そして、私たちは住居もすべて引き払って日本へと旅立った。
日本語がほとんどできない夫は臨時の英語教師をしながら、私は音楽教室で子供たちにピアノを教えながら、どちらかの空いた時間に母の世話ができるような介護中心の暮らし 夫の献身的な手助けがなければ、この三年間を乗り切ることは到底できなかっただろう。
言葉も不自由な異国の地で夫がどれほどの努力と苦労を強いられていたのかと思うと、私の胸は感謝の涙に奮えた。
親孝行という当初の目的を失って五十歳を迎えた私たちは、オランダへは戻らず、このまま日本に骨を埋めることを選んだ。そして、二人きりで次の人生へ向かうために、私たちは新しい「家」を探し始めた。
ところが、夫が永住権のない外国人であること、年齢、職業、年収などを聞いた途端、どの不動産会社も態度が一変した。いきなり電話を切られたり、会社を訪問しても物件を紹介されることも、笑顔もなく門前払いされたり 日本という母国によそよそしさを感じながらも、夫のことを思いやると私はあきらめるにあきらめ切れず、十社以上の不動産会社へ電話し、最後には涙声で訴えていた。
「それは大変でしたね。とにかくまず物件をご覧ください。それから一緒に対策を考えましょう」
その柔和な声を聞いたとき、私のささやかな愛国心は救われた。
その営業の彼は車で迎えにきてくれた上に、私たちを笑顔で迎えてくれた。案内された物件は二人で暮らすには申し分なく、夫の嬉しそうな顔がなにより嬉しかった。
「問題は住宅ローンですが、貯蓄の方から少し自己資金に回していただければ審査もどうにか通せると思います。ただ申請書類にはご主人ご本人が日本語で必要事項をご記入いただく必要があります」
私が彼の言葉を通訳すると、夫の顔に戸惑いの色が浮かんだ。夫は日本語がまったく書けない。
「大丈夫。私がなんとかします」
数日後、私たちは彼と近くの喫茶店で待ち合わせた。
彼が事前審査の書類に記入すべき文字を一文字ずつ丁寧に別の紙に書き、それを見ながら夫が何度も練習してから一文字ずつ記入欄を埋めていく気の遠くなる作業が始まった。結局、書類の作成に六時間余りを要した。それでも、彼は嫌な顔ひとつ見せず「そうそう」「うまいな」「いいっすね」と夫を笑顔で励ました。
「二週間後の面談では銀行の担当者の前で書類にご記入いただくことになります。時間のあるときに練習してください。もちろん本番でもこれを見ながらお書きいただいても構いません」と彼は私に言うと、夫に手本の紙を手渡した。
この二週間は私も夫も忙しく擦れ違うことが多かったので、当日は夫がどのくらい上達しているのか、私は少し不安を覚えていた。
そしてその瞬間 夫はボールペンで美しい日本語を流暢に描いた。
「感動しました。すばらしいご主人ですね」
彼が私に囁いた。私は〝私はこの人の妻なんですよ〟と心の中で最高のどや顔をした。
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