おかえりなさいのお家
私がまだ小さかった頃、私のお家もそうだったけど、どこのお家にもおじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さん、子供たちがいた 三世代は当たり前、子供たちの子供までいる三世帯のお家もよく見かけたものだ。地方の話ではない、私は東京生まれの東京育ちだ。いつのまにか、おじいちゃんとおばあちゃん、お父さんとお母さんは別々に暮らすことが普通になってしまった。
小さな私も大きくなって、大学進学を機に一人暮らしを始め、就職、結婚を経て、夫と二人だけで暮らすことになんの疑問も持たなかった。
夫も私も仕事が忙しく、会えても深夜、休日もどちらかが出勤していることが多く、一緒に暮らしているのに一緒に過ごす時間は少なかった。今になって思えば、忙しさがすれ違いのさみしさを紛らわせていたのかもしれない。
私が三十歳のとき、愛娘を授かると暮らしは大きく変わった。私の産休の後、夫が育児休暇を取ってくれた。職場復帰した私もその日残った仕事は持ち帰って、小さな娘が寝静まってから済ませた。
子育てがこんなにも大変だとは考えてもみなかったが、退職したばかりの私の父と母が足しげく手伝いに通ってくれたのは幸運だったし、両親も孫娘に会えるのを楽しみにしているようで私も嬉しかった。もし二人がいなかったら一体どうなっていたことやら。
娘が生まれて半年経った頃、育児休暇が終わろうとしていた夫から思いがけない提案があった。
「もしよかったらだけど、お義父さんとお義母さんと一緒に暮らせないかな?」
「え‥‥私はいいけど大丈夫?」
「うん、ぜひお願いしたいな。うちの両親は兄貴夫婦がいるから問題ないしね」
一人っ子の私の両親にはもちろん異存はなく、すぐに二世帯で暮らすためのお家探しが始まった。
いわゆる建て売り一戸建ては狭すぎたし、玄関と水回りが二つずつある二世帯住宅は他人行儀な感じがして一も二もなく却下された。私と夫は深夜でも気兼ねなく仕事ができる書斎兼仕事部屋がほしかったし、母とは同じキッチンに立ってお料理したかったし、一緒にいてお互いに気持ちのいい距離感で暮らせるお家にしたかった。
「じゃあ、オリジナルの二世帯住宅を建てましょうよ」と言い出したのは不動産会社の営業の人だった。理想に近いお家が今この世にないことに落ち込むあまり"建てる"という発想がなかった私たちは、思わず膝を打った。
営業の彼は工務店を紹介してくれた上に打ち合わせにも毎回参加してくれた。
「メインのリビングはみんなが集まる公共の場に」
「プライベートが保てる広い主寝室を二つ」
「ご夫婦の主寝室にはメゾネットのように階段で上がる書斎兼仕事部屋を設けて」 彼のワクワクするようなアイディアから世界にひとつしかない私たちの二世帯住宅がどんどん形になっていった。
そうして、夫と入れ替わりに取った私の育児休暇が終わる頃、私たちは私の両親と一緒に暮らし始めた。
父は娘の保育所への送り迎えを日課にして規則正しい生活を楽しんでいるし、母は五人分の食事を作ることに大きなやりがいと喜びを感じているようだ。
"少し甘えすぎかな"とも思うけど、二人とも毎日楽しそうなので"甘えるのも親孝行かな"と都合よく考えさせてもらっている(笑)。
私も夫と以前より話をする機会が増えたし、二人とも声をたてて笑うことが多くなった。なによりもお家に帰ってくると今日一日のことを話したり、娘のことを聞いたりできる相手が必ずいる そんな仄かな幸せを噛みしめている。
この冬一番の寒さが東京を襲った日の夜、残業で遅くなった私は最終電車を降りて駅からの帰り道を急ぐ。夫は福岡に出張で今日は留守にしている。
二人暮らしだった頃のこんな夜は誰もいない冷たいお家に帰るのはさみしかったし、おっくうだったな、と昔を思い出しながら"早く家に帰りたい"というはやる心が私の足をさらに早める。
次の角を曲がると右手の奥に私のお家が見えるはずだ。その窓にはきっと暖かそうな明かりが灯っているだろう。その明かりを見た途端、私は小さな私に戻って思わず駆け出すだろう。そして、玄関のドアを勢いよく開けて大きな声を張り上げるのだ。
「ただいまっ」
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