世の中には存在しない物件
「正直、難しいと思います。そのエリアにご希望の広さの土地は、一生待っても出てこないかもしれません」
私は正直にそう言った。
「そうですか......やっぱり」
ご主人は落胆の色を見せたが、すぐに気を取り直したように私を見た。
「一戸建てを持つなら、このエリア以外には考えられません。ですから、気長に待つことにします。もしも一生待っても出てこないなら、そういう運命だとあきらめて、今のマンションで余生を送りますよ」と小さく笑った。
その四十代後半のご夫婦は、二十年前に二人のお子さんを育てるために購入したマンションに今もお住まいだった。今年、上の男の子は就職し、下の女の子も大学生になって手がかからなくなったし、お二人としても第二の人生を過ごすのなら"マンションよりも一戸建て"と考えたようだ。
ところが、ご夫婦のご希望はピンポイントの狭いエリアで、しかも都内でも有名な一等地 ご希望の広さの土地物件が出る可能性はなきに等しいと言ってもよかった。
私は他のエリアも探してみることを提案してみたり、実際に物件もご紹介してみたりしたが、ご夫婦の気持ちは変わらなかった。
「どうしてこの場所にそこまでこだわられるのですか?」
「ああ、それは......大学生のとき住んでいたことがあって、親しみがあるもので......なぁ?」
ご主人はどことなく口ごもった感じで奥様を窺うように見た。なにか特別な理由でもあるのだろうか。
「わかりました。もし、そのエリアに土地の物件が出たら、必ず真っ先にお知らせしますから。但し、あまり期待はしないでくださいね」
そう言いながらも私は半ばあきらめていた。これまで数多くのお客様に「住まい」をお届けしてきた営業のベテランとして少しばかり腕に覚えのある私だが、世の中に存在しない物件はさすがに売ることはできない。自分ではどうしようもないことは、生きているとたくさんあるものだ。
それから半年ほど経ったある朝、私はオフィスに出勤し、いつものように今朝届いたばかりの物件情報をチェックしていた。と、私は一瞬目を疑った。それは売主から専任として依頼された未公開の物件 まさにあのご夫婦がご希望のエリアに土地が売り出されていたのだ。が、問題は広さだった。その土地はご夫婦が望む広さの二倍以上、資金的にも無理がある。しかし、この千載一遇のチャンスを逃したら、もう二度と物件は出ないかもしれない。私はこれまでの経験という引き出しを総動員して頭を絞った。そうして、"これしかないな"と受話器を取った。まずは、ご夫婦の意思を確認する必要があったからだ。
「......その広さは私たちには不必要ですし、買おうにも予算的に難しいです、とても残念ですが」
ご主人から予想通りの言葉が返ってきた。さぁ、ここからが肝心だ。
「これはあくまでも仮定のお話ですが、もしもこの土地が分割されて二区画で売りに出されたとしたら、一区画をお買いになりますか?」
しばらく間があった。
「......もちろん買います。本当にそんなことができるのなら」
そう聞いて、私の腹は決まった。
その日から私は毎日のように売主を訪ねて交渉を重ねた。しかし、一向に首を縦には振ってくれなかった。
「何度来ても同じだよ」
「とても素敵なご夫婦なんですよ。社長もいつもおっしゃっているじゃないですか。買い主は人間的に信頼できる人がいいって」
「それとこれと話は別でしょ。この広さを気に入ってくれる素敵な人を探してくればいいんですよ。買い主に合わせて物件をあれこれ変えちゃうなんて聞いたことないよ」
売主の社長が言う通りだった。私もそんな話は聞いたことがない。でも、世の中にある当たり前は、最初はすべてが当たり前じゃなかったはず。私は決してあきらめなかった。
それから一カ月が過ぎた。私は相変わらず売主を訪ねて交渉する日々を繰り返していたが、心配の種は物件が先に売れてしまうことだった。
そして、交渉から二カ月が過ぎた頃、あの物件に買い手がついたという噂が私の耳に入ってきた。
「......ここまでか」
自分の落胆よりもご夫婦の落胆を考え、どう謝罪するか、頭を悩ませていた私に、売主の社長から"すぐに会いたい"という連絡が入った。寝耳に水とはこのことだ。
「いくつか引き合いはあったんですけどね、毎日訪ねてくるあなたの顔が見られなくなると思うとさみしい気がしてね(笑)。ここまで熱心に交渉してきた人は初めてですよ。東宝ハウスさんとは二十年以上のお付き合いもあるし、区画の広さはお任せしますよ。但し、二区画ともちゃんと売ってくださいね、頼みますよ」
「社長、ありがとうございます!」
そうして、ご夫婦はご希望のエリアに念願の一戸建てを手に入れた。
お引越しから数日後、私はお祝いの鉢植えを持って、ご夫婦の新しい「住まい」を訪ねた。お二人のお人柄が表れた落ち着いた佇まいの邸宅だった。お二人はこれ以上ない満面の笑顔で私を迎えてくれた。
「本当にお世話になりました」
「おめでとうございます。すばらしいお宅になりましたね」
「ありがとうございます。物件を探しているときは少し気恥ずかしく思えて言えなかったのですが、白状してしまいますと、この周辺は私と妻が大学生の頃に出会い、同棲していた場所なのです。もう一度、二人で新しい人生を始められる気がします」
「素敵なエピソードですね」
「しかし、あなたには驚きました」
「え、どうしてですか?」
「だって、そうじゃないですか。世の中に存在しない物件を自分で創ってしまう不動産の営業の方がいらっしゃるなんて。本当に驚きです」
その言葉で自分がしたことの"とんでもなさ"を改めて知って、逆に自分自身が驚いてしまった。
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